消えるグラフィックが表れるとき
展覧会のプロジェクトに携わる機会に恵まれ、光栄にもこれまで様々な展覧会のグラフィックデザインを担当してきました。限りある予算や切迫するスケジュールの中で、展覧会ならではの制約を目前にしながら、それぞれの展覧会に見合う工夫を凝らしデザインを施す作業は、制作過程にルーティーンがあるわけではなく、各展覧会ごとに適したアイデアを根気よく考え続けながら臨んでいたように思います。この窓学展に於いても、展示ディレクターの五十嵐太郎さんを筆頭にチームで様々な知恵を出し合いながら、グラフィックデザイナーの職能領域として窓学展ならではの展覧会グラフィックを施せるよう尽力してきました。
展覧会のグラフィックデザインには、展覧会を告知するためのポスターやチラシなどの「広報物グラフィック」、そして作品鑑賞の手助けとなる解説や導線を伝えるための「会場グラフィック」という大きく二つの分類があります。前者は「あの展覧会に行ってみたい」と思わせる強い吸引力を持つビジュアルを要するのに対し、後者は「気づけば作品鑑賞に没頭していた」という状態を手助けする黒子のような存在としてグラフィックを施すべきだと常々考えています。
「気づけば作品鑑賞に没頭していた」という状態を実現させるには、作品解説をはじめとした様々な情報をいかにストレスなく来場者に与えることができるかが重要だと感じています。会場の壁に配される解説文などの文字の大きさはもちろん、行間や文字間の空き具合の微細な差異によっても可読性は左右されるため、それらの細やかな調整を繰り返しつつ、来場者が良い意味で「無自覚」に文章が読める環境を整えることが、会場グラフィックがまず最初に目指すべき到達点ではないかと考えています。それでいて、その展覧会特有の「匂い」のようなものが漂うグラフィックになるよう、多少の癖を施しながら展覧会のアイデンティティを形成していきます。
一方で、会場グラフィックの中には無自覚であってはならない「注意喚起」が存在します。“撮影禁止”、“お手を触れないでください”などは最たる例ですが、コロナ禍における展覧会の開催にあたり、 “マスクを着用してください”、“検温をしてください”、“アルコールで手指を除菌してください”などこれまでにない「注意喚起」が突如として生まれ、人々の行動を抑制する新たなルールが設定されました。結果的にロサンゼルスやサンパウロの窓学展では会場内での密集を避けるため、床面に一方通行の導線を施し、鑑賞ルートとして人々の歩く場所でさえ強制的に制限することになりました。
「気づけば作品鑑賞に没頭していた」という状態を実現させるために尽力していた会場グラフィックは、今や「人々を抑制し安全に開催する」という機能が色濃くなり、会場グラフィックの本来の醍醐味、延いては鑑賞体験そのものの醍醐味を損なう事態となりました。
1964年の東京オリンピックに於いて、海外の方々とのコミュニケーションの円滑化を目的にピクトグラムという手法が運用され始めましたが、奇しくも2021年、感染予防のための新たな注意喚起となるピクトグラムが様々に誕生しました。それらがロサンゼルスやサンパウロの展示で機能していることは、グラフィックデザインが果たすべき役割を全うしている好例とも言えるかもしれません。しかしながら、人々が再び行動に制約されることなく、五感を自由に活用しながら鑑賞体験に没頭できる日々を願うと共に、人々を無自覚へと誘う“消える” 会場グラフィックが施せる機会がまた訪れることを願うばかりです。
展示グラフィック 岡本 健