コロナ禍における窓の可能性
2020年、世界中を覆いつくしたパンデミックは、わたしたちの日常を根本から変えました。人が集まる空間は良いとされた建築の前提も、ひっくり返り、あらゆる人間があらゆる人間に対する潜在的な脅威となるような状況に陥りました。この展覧会も、会期や会場のデザインの見直しが余儀なくされました。当然、窓という建築の重要な部位にも、新たな考察が要請されます。人々が外出を減らし、家にひきこもる社会において、やはり窓こそは外部と内部をつなぐ装置だからです。また窓は、外に対して開くことと、閉じることという相反する2つの機能をもち、この矛盾は経済活動を再開するか、安全を優先してロックダウンを続けるか、という社会が抱える根本的な問題とも重なります。そして窓のガラスは、透明ゆえに、向こう側が見えるけれども、物理的なシールドとしても機能します。巨大津波が多くの街を破壊した2011年の東日本大震災の後、窓学では、窓をめぐる討議を行ったことがあります。またアートの分野では、「とある窓」展において、室内から窓の外にむけて被災地を撮影した写真の数々が、風景の変化を語る居住者の言葉とともに展示されました。それらの窓は、まさに3.11の前後、そして復興の過程を目撃したものです。さて、コロナ禍によって活動を制限されたわたしたちは、家に滞在する時間が長くなりました。家にいながら遠くの世界につながるパソコンという新しい時代の「窓」に向きあうことも増えましたが、一方で従来の窓がまわりの風景や近所の人たちとリアルに結ぶ役割を果たしていたことを改めて強く感じたはずです。実際、窓辺のバルコニーから隣人に向けてオペラを歌ったり、窓越しに医療従事者への感謝のメッセージを発信したり、ソーシャル・ディスタンスを維持すべく窓を介してモノを受け渡しするなど、危機的な状況において窓ならではの力を発揮しました。これまでにも世界の地域や文化圏によって、窓は人々に異なるふるまいを誘発しましたが、コロナ禍でもそうした多様性は認められました。窓学展が、来場されたみなさまに、改めて窓がもつ可能性について想像していただくきっかけになれば、幸いです。
展示ディレクター 五十嵐太郎